満開椿
今年も庭の椿が開花した。
ちょうど満開。皆、とてもきれい。
桜の前の椿のお花見、皆様におすそ分け!




楽しいおひとりさまの週末
奇跡的に、家族それぞれが週末用事で出かけることになり、ウン十年ぶりにひとりの週末を過ごすことになった。
花金。晩御飯に好きなものを食べたくて、スーパーで鯛のお刺身用の柵を買った。
半分はお刺身に、もう半分は漬けにした。お醤油・お酒・ワサビを溶かしたものにゴマをたっぷり入れてお刺身にした鯛を漬け込む。20分ほど漬け込むと、ほかほかの白ご飯に乗せてもよし、熱いお茶などかけて鯛茶づけにするもよし、ゆでたパスタにバター・青紫蘇と一緒に軽く火を入れてもよい万能の食材になる。私は九州用のお醤油を使うので甘口になるが、それもまたおいしい。
ちょっと一杯やっちゃおうか、と一緒においしい冷酒を開けた。
くわーぁ、よいねぇ。
一応女性として生まれたが、年々女性を忘れる。エレガントにいきたいのでやり直す。
あら、おいしいわぁ。
先ほどのお刺身をつまみながら、お酒をゆっくりいただいた。
しめは、先ほどの漬けでお湯漬けにした。鯛自体からもお出汁が出るので、お湯でも十分おいしい。むしろ私はこっちがすき。
自分だけのために、時間をかけて自分の好きなものを準備する。すごく贅沢で丁寧なことに感じる。みんなで過ごすこともよいが、ひとりもまた良いものだ。
今日は、ゆっくり本でも読みながら夜長を過ごそうと思う。
皆様にとっても、素敵な週末になりますように。
いきる、ということ
「ブリス」という映画を見た。
ポリオ(小児麻痺)に罹ったイギリス人男性の話だ。
バリバリ仕事をしていた若者が、仕事で滞在していたアフリカでポリオウイルスに罹患。発症し、首から下は全身まひになる。一生なおる見込みはない。呼吸器をつけてようやく呼吸できる状態、病院で寝たきりの生活。生きる希望を失う。彼には結婚した妻と生まれたばかりの子ども。絶望している彼は、赤ちゃんを直視しない。毎日病院へ行く妻。立ち直れない男性に妻はいう。「死んでないなら、生きるべき。あなたのしたいことは何?」
「ここから出たい」
病院から出た男性は、友人たちにも協力してもらい、自宅での生活を開始する…
結末は賛否両論ありそうだが、久しぶりに良い映画を見た。
いきるということ。それは、ただ息をしてご飯を食べるだけではないのだ。
家族と、友人と、大切な人と時や思いを共有する。
笑って、泣いて、怒って。
嬉しいことも、かなしいことも、悔やまれることも。
体だけが生きていて、心が死んでいるのは、生きているとは言えないのかも。
私は息をして毎日おいしくご飯を食べているけれど、生きているといえるかな?
先ほど見た感動の余韻が残っており、何かしら胸の中でぐるぐるしている状態のままこれを書いているので、ちょっととりとめがない。
でも、私もしっかりいきていきたいな。
いとしのお蕎麦でチャージ
蕎麦が死ぬほど好きだ。
人生最後の日に食べたいものはいくつかあるが、その中でもダントツ一位は蕎麦だ。
私は、そばを愛している。特に、冷たいお蕎麦。
昨晩の晩御飯でもお蕎麦を食べた。
自分で調理したのにも関わらず、湯で加減がいまいちで大変不満だった私は、仕事が長引き疲れたと言い訳して、母と蕎麦屋に行ってきた。
「昨日も食べたのに、またお蕎麦がいいの?」
「蕎麦がいいの!」
母は笑っていたが。お蕎麦だったら、毎日でもよい。
市内に子どものころから通っているお蕎麦屋さんがある。古民家をリフォームしたような外観・内装で、入ると大変落ち着く。どれもおいしいのだが、上に薬味や揚げ玉がかかっている冷やし蕎麦を私は必ず注文する。頼まずにはいられない。
たまに違うもの(温かいおそばとか、うどんとか)を頼んで、いただいてみても、心がどこか満たされない。ここの冷やし蕎麦は、ソウルが満たされるのだ。心どころの話ではない。
ウキウキしながら店内に入ったら、本日は幸運なことにまだ席が空いていて、すぐに席に案内してもらえた。早速メニューを開く。頼むものはもう決まっているのだが、新しいメニューがないか確認するために見る。見るのがマナーだと思っている。
母は、天丼と温かいうどん。私は、例のごとくいつもの冷たいお蕎麦を注文した。
お姉さんが、温かいお茶とおしぼり、お通しのぬか漬けを持ってきてくれた。
これが、またおいしい。鮮やかな胡瓜・人参・大根をいただく。ぱりぱりの触感。あったかいお茶を一口。ごっくらく~。ちっとも待つのが苦じゃない。

大して時間はかからず、お蕎麦が出てきた。
これ。これ、これ。これをもとめてたのよ~。
無言で食べる。本当においしいものを食べるとき、人は言葉を忘れてしまう。食べるという行為に没頭し、行為のなかで食べ物と正面から向き合う。
夢中でいただき、昨日から続いていたお蕎麦欲求不満は月へ飛んでいった。
お腹とソウルが満たされた。
これで今週は大丈夫だ。生きていける。
おいしいもの食べて、元気に行こうぜ。
…今日の日記はやや「けんた食堂」風!
願いは、みんなでビリヤニを
緊張感が続いている米国・イスラエルとイランの状況。連日ニュースやワイドショーでも話題になっている。フォーカスされているのは、突然の米国の攻撃によって被害を受けているイランの状況だ。破壊された街並みや、攻撃により傷ついた子どもたちのことが報道されている。一方、イラン出身の知人は喜んでいる。こういうことでもなければ、自分たちの力ではどうにもできなかった、と。トランプありがとうと言わんばかり。正しいとはどういうことなのか。一つだけ言えるのは、正しさは己のポジションによって変わるということだ。正しさの主張の狭間で、人が亡くなり、傷を負う。
現在、ムスリムの人々はラマダン中だ。私は特に信じている宗教はないけれど、親しい友人にムスリムがいる。日が昇る前にご飯を食べ、日がある最中は飲まず食わずで過ごし、日が沈んだらまた食事をする。ラマダンの日程は太陰暦に沿って決まるため、毎年10日ほど前の年より早くなる。今年は暑くも寒くもない時期のため、過ごしやすいと友人は言っている。夏はやはり過酷なのだそうだ。ラマダンが終了すると、盛大なお祭りを行うのが習慣で、大勢で食べるよう、たくさんの料理を作るのだそうだ。
海外の移民問題でやり玉に挙げられることもあるイスラム教。危ない宗教のように言われることも多いが、でも友人は本当に穏やかで優しい。
そんな友人が作るビリヤニは、控えめに言って最高だ。なんでこんなにうまいのかと思うくらい夢中になってしまう。今年もビリヤニを作るのかと聞いたら、友人は笑って「もちろん」といったので、友人ではなくビリヤニに会いに行こうかと企んでいる(笑)。そんな不届き者の私。
願わくば、ラマダン終わりのお祭りのときには、今回の衝突は終了し、世界中のムスリムの人々がおいしいビリヤニを安心して食べられますように。

龍樹に夢中
先日、あるご住職のお話を聞いたときに、仏陀から続く家系図のような系図をいただいた。なんでも、仏陀から現在に至るまで、曹洞宗では直接の弟子という形になり、お話くださった方は現在ちょうど80代目とのこと。
その系図をずっと見ていた時、「龍樹」という名前があった。なんだか心惹かれ、少し調べてみたところ、非常にドラマチックで面白い人物。ちょっとしたマイブームになっている。
龍樹(ナーガルージュナ)
紀元150年~250年頃、南インドのヴィタルバ場地方のバラモン階級にて誕生。生まれたとき、占星術師から「類まれな才能を持っているが、7歳までしか生きない」と言われ、両親は必至で布施や供養を行う。予言された7歳が近づいたころ、両親は彼を僧院へ送り出す。密教の師匠に出会い、師匠の教えに沿って修業し、死の運命から逃れる。
龍樹は非常に優秀で、すぐに様々な教えを習得。同じように優秀な仲間が他に3名いた。学ぶものがなくなってしまった彼らは、退屈しのぎに錬金術師から姿を消す術を手に入れ、王の後宮に忍び込み、しばらく遊び惚ける。しかし、王にばれてしまい、友人の3名は龍樹の目の前で惨殺される。龍樹のみ間一髪、王宮から逃げ出しが、行いを悔やみ出家する。
出家後も優秀さを発揮、当時人間界にあった仏教の経典をすべて学び、僧院の長となる。その後、海の国に招かれ、龍王から竜宮の図書館にある般若経を授けられる。般若経を学んだ龍樹は、当時広まりつつあった大乗仏教の教えを解説、『荘厳仏道論』『大慈方便論』、『中論』を編纂。大乗仏教を広めていく。
その後、魔術師と魔術対決をしたり、南インドの王様が異教徒のため、改宗を勧めるために兵士となり功績をあげるも褒美を受け取らず、受け取らぬ理由を尋ねる王と問答し仏教に改宗させたり…。
最後は、王の息子により、草の刃で首を切られて倒れた…
…諸説あるようだが、ざっくり、本当にざっくりと誕生から死まで辿ってみた。龍樹の教え…特に有名な「空」などの内容については、今回割愛する。
しかし、破天荒でワクワクするような物語だ。アラビアン・ナイトや西遊記にも通じるエンターテイメント性がある。
伝えられる教えと、教えにまつわる人々のドラマに魅了される。感じ方は違うかもしれないが、当時の人もきっと心動かされたのだと思う。
時の洗礼を受けても残るものには訳があるのだ。
ほぼ1年ぶりの更新。曾祖父の50回忌にそえて。
ふと忘れていたブログを開いてみた。
前回書いたのはいつだったっけー?と、軽い気持ちで見てみたら、前回書いたのは302日前…わぁ、1年は本当に早いですね。気づいたら、ほぼ1年経ってた…。
怒涛の日常が少し落ち着き、顧みる余裕がようやくできたので、またちょくちょく書いていきたいと思います。
昨日、曾祖父の50回忌を行った。曾祖父は、私が生まれる前にすでに亡くなっているので、人となりも、親や親戚の叔父様叔母様からしか聞いたことがない。
母と私で自宅からお寺に向かおうとしていて、一番大切な曾祖父のお位牌と写真を忘れかけた。
「なんで忘れるの、ありえない」
「そっちも気づかなかったじゃない」
お互いのせいにしながら、慌ててまた自宅に取りに戻った。
こんな時でないと、なかなか集まらないといいながら、親戚の皆さんに曾祖父の話を聞いた。
俳句の先生で、自宅で句会が定期的にあっていたこと。生徒さんは女性が多く、もてていたらしい。
毎朝の散歩が日課で、帽子とお気に入りのステッキとマントを身に着けて出かけていたこと。
親戚の一人が中国・北京におり、盲腸の手術中に危篤、医師でもあった祖父は急遽北京に飛んだが助からなかったこと。
礼儀にうるさく、廊下を歩く際に足音がすると、部屋から「静かにしろ」という意味の咳払いが聞こえたこと。
かと思うと、あるものは何でも使えというのがモットーで、荷物をいっぱいに抱えたときに障子を開けようと荷物を下ろそうとすると、「足がある、足であけろやい」といったり…。
よくわからないけど面白そうな人だ、というのが私の印象。
法事は無事終了し、曾祖父の写真とお位牌は定位置に戻った。
ついでに、ほかのご先祖様たちの写真も、久しぶりに壁から外してきれいに掃除した。
古いから黄ばんでいるのかと思っていたら、おどろくほど白くなった。どうやら数年前に亡くなった祖父が吸っていた、たばこのやにのせいだった様子。
時間は、止められない。かつて私と同じように食べて笑って寝てた人々は、いまは写真や思い出の中。私もあんな風に写真になるのかしら。いや、私がなるころには単に写真じゃなくて、3DホログラムとAI自分みたいなものが、弔問くださった方に「ありがとうございます」とお礼を言っているのかも…うーん、個人的には保存されない権利が欲しい。良い意味でも、悪い意味でも、時間は美化してくれるから。私を思い出すときは、ふんわりとした雰囲気だけで思い出してほしい。
いろんなことを考えた、頭の中が忙しい一日だった。
もしできるなら、大人の今の自分で、曾祖父と直接一度話してみたかったな。